清水寺が正面に見えて一望できる!
秀吉の墓所の左手に回ると、京都市内が眺められる場所があります。
なんと!あの清水寺が正面に見えるじゃないですか!
この山頂に来てみるまで知らなかっただけに心底ビックリ!
清水寺までは多少の距離はあるけど清水の舞台の真正面が見えて、観光客がい~っぱいいるのが遠目でも分かりました。遮るものは何もないし、こんなに見晴らしのいい場所に秀吉のお墓があるなんて!
写真はズームで撮ってますが、肉眼でも清水の舞台がはっきり見えて、観光客でいっぱいの様子が分かりました。
スマホのズーム写真だから画像がイマイチなのが悔しい。カメラを持っていけば良かったな。
あと、京都御所や鴨川が流れている場所も良く見えました。
徳川家康の日光東照宮は豪華絢爛で見事ですが、豊臣秀吉のお墓は地味ですが良い場所にあると感じました。波々ならぬ階段を上ってきてこの景色を見ると、さすが天下人だなと当時の豊臣の世を思い描けそうなほどです。関西人でも秀吉のお墓の存在を知ってる人は少ないし、まして行ったことがある人は稀だと思います。階段はめちゃキツかつかったけど来てみて良かったなと思いました。
豊臣国松の墳墓
豊國廟には秀吉のお墓だけでなく、秀頼の子(秀吉の孫)の豊臣国松の墓石もあります。
場所は、御朱印やお守りが頂ける社務所の裏手にあります。
お墓の横に石碑が建っていて、漢文なんですが国松の事が書かれている内容だと何となく掴めました。
豊臣家は大坂夏の陣で自害して滅んだと思ってましたが、秀頼の長男・国松 8歳と、7歳の長女・奈阿姫(なあひめ)が生き残っていたようです。知らなかったなぁ。
「細川家記」によれば、国松は乳母と一緒に大阪城を脱出しました。徳川方は執拗に国松の行方を捜したようで、国松が伏見に潜伏しているところを見つけ出します。国松は京都所司代・板倉勝重のもとに連行され、翌日に六条河原で斬首されます。8歳でこの世を去りました。
「梵舜日記」には、斬首の様子を見物した人々の悲しみを誘ったとも書かれていて、処刑の様子は「日本切支丹宗門史」にも詳しく記されているそうです。
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