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京都伏見の鳥羽離宮跡地は院政政治のメッカ!あの有名天皇陵がいっぱいある!

【白河法皇・鳥羽法皇 院政の地】
平安時代の史跡・観光・見どころ
伏見ぶらり散策

 

3月上旬に城南宮のしだれ梅を観に行った時、城南宮がある伏見にかつて鳥羽離宮があったことを知りました。鳥羽離宮は平安時代後期に上皇や法皇の御所があり、院政を行った所です。

1086年、白河天皇が幼い我が子に位を譲り、上皇として政治の実権を握る「院政」を始めました。その院政を鳥羽離宮の鳥羽殿(とばどの)で行いました。この鳥羽の地には貴族の別荘や寺院が数多く建てられ、平安京の郊外に新しい京の都が出現したかのようにとても賑わったと言われています。

 

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鳥羽離宮跡MAP

鳥羽離宮は平安時代の院政で実質的に政治を行った場所で、上皇や法皇の権力がいかに凄かったかを示すほどの大離宮でした。ですが、今ではその面影がほとんど残っておらず住宅地になっています。

【白河法皇・鳥羽法皇 院政の地】の石碑がある場所に行ってみると鳥羽離宮の地図や説明の看板が立っているので、それを見ると当時の様子をイメージしやすくなります。

現在は伏見と呼ばれる地域に鳥羽離宮があり、平安時代は鳥羽の地と呼ばれていたようです。下図の地図を見ると当時の川の流れが今と違うのが分かりますし、川の水を離宮に引き込んで大きな池や水場を造ったり、船着き場も造って船での行き来をしやすくしていた様子も分かります。


この地図の拡大図(PDFファイル)はこちら

鳥羽離宮は1086年に白河天皇が造営し始め、当時の最高の文化と技術を駆使して築かれ、鳥羽上皇も精力的に手がけました。離宮内には数多くの御所や寺院が建てられた跡があります。

下図のイラストでは、平安京の朱雀大路(すざくおおじ)から鳥羽離宮まで真っ直ぐ行けるように、「鳥羽の作り道」が通ってる様子が描かれています。

言葉の説明だけではピンとこないものがイメージ図を見ることで、想像が膨らむし興味もわいたので行ってみて良かったと思います。「おぉ!凄い!法皇の御所だけあってこんなに広大やったんやー!ここで院政を行ったのか」と脳みそにインプットされた私なのでした。

天皇は平安京の御所にお住まいでしたので、わざわざ鳥羽離宮を造って院政を行った上皇や法皇の権力ってほんと凄かったんですね。そりゃ貴族も有力者もこの離宮にこぞって集まって来るだろうし、「あたかも都遷の如し」と言われたのも分かります。

院政期の鳥羽は、京・白河とともに政治・経済・宗教・文化の中心地だったのですが、院政の終焉とともに衰退し、南北朝時代の内乱期に戦火で多くの殿舎が焼失したりして急速に荒廃し、姿を消していったとされています。

↓鳥羽離宮跡の遺跡マップ

今回は上の地図にある「城南宮」と「近衛天皇陵」付近を散策してきたので紹介していきたいと思います。

城南宮については、しだれ梅しだれ桜の時期に行ったブログを書いているのでご覧下さい♪

 

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