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京都伏見の鳥羽離宮跡地は院政政治のメッカ!あの有名天皇陵がいっぱいある!

 

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白河法皇・鳥羽法皇院政の地

城南宮に行ったついでに「白河法皇・鳥羽法皇院政の地」の石碑がある付近を散策したんですが、歴史で習った平安時代の有名な天皇のお墓(天皇陵)も数多く近隣にあるのを初めて知りました。この辺りは京都観光ではマイナーエリアですが、事前に下調べしていくと鳥羽離宮跡には色々と見どころがあります。

 

ブログ内に掲載しているGoogleマップは拡大・縮小できるので、指やマウスで画面を動かすと拡大・縮小できます。見たい大きさに調整してください。

私は城南宮から竹田駅に向かうときにこの場所に寄ったので、上の地図の所から入りました。
周辺は住宅街で、路地を入って行った所に「白河法皇・鳥羽法皇院政の地」の石碑があります。知らないと絶対に見過ごす場所にありました。

宮内庁の管轄地だけあって、入口には柵があります。(出入りは自由)

入口を入ってすぐ右手に「白河法皇・鳥羽法皇 院政の地」の石碑があります。

 

石碑の前は、道が二手に分かれています。

左に行くと鳥羽天皇陵があったのですが、看板がなかったから私は見過ごしてしまいました。折角ここまで行ったの見逃したのがくやしい!またの機会に行ってみたいと思います。

 

歴代天皇(白河・堀河・鳥羽・崇徳)と院政について

では、ここで院政を行った歴代天皇の流れをざっくりご説明。知ってる方は読み飛ばしてください。

1068年に後三条天皇が即位しました。後三条天皇は摂関家と繋がりがなく、摂関家と関わりがない天皇が即位するのは170年ぶりで、積極的な政治を開始します。

後三条天皇の後を継いだのが息子の白河天皇。白河天皇は1086年に8歳の息子(堀河天皇)に位を譲って上皇として政治の実権を握り、本格的な院政を始めます。そして白河上皇は鳥羽の地に新しい都造りをはじめ、鳥羽離宮の鳥羽殿に移り住みました。

1107年に堀河天皇が29歳で死去し、堀河天皇の息子が5歳で即位して鳥羽天皇となりました。政治は引き続き白河法皇が院政で行います。

1123年、鳥羽天皇は息子に譲位して、5歳の崇徳天皇が即位。

1129年、白河法皇が77歳で亡くなります。白河法皇による院政は43年におよびました。

京都には天皇がいて朝廷があり、離宮には上皇がいて院庁がありました。
朝廷の命令書の方が格は上でしたが、実際の効力は院庁の方が上だったため上皇(法皇)の権力は摂政や関白、天皇までもしのぐほどで、その権力にあやかりたい有力者たちは上皇に荘園(土地)を次々と寄進したため上皇の荘園が爆増し、権力だけでなく財も蓄えていきました。

 

話を散策に戻しますね。

私は鳥羽天皇陵を見逃してしまい、安楽寿院に向かって歩いて行きました。

この道は桜並木だったので桜の時期がよさそうです。

左の柵越しに収蔵庫が見えます。(この収蔵庫については後ほど)

 

収蔵庫の場所はここ↓

 

安楽寿院

鳥羽離宮の東側に建てられた安楽寿院は、鳥羽上皇が鳥羽殿の東殿に御堂を建立したのが起源。
鳥羽上皇の念持仏と伝えられる阿弥陀如来坐像(重要文化財)が本御塔に安置されています。

鳥羽東殿と称され、御堂や御所が建てられたり多くのお堂も建てられたりして他の殿とは異なった様相だったようです。

安楽寿院に建てられた塔に白河法皇、鳥羽法皇、近衛天皇の御骨が収められ、墓前に御堂が建てられました。安楽寿院に歴代の院政法皇が眠っていることから、鳥羽離宮の東殿の区域(安楽寿院辺り)は死後の極楽浄土を現世に築いたといえます。

↓安楽寿院の鳥居(お寺と思ったけど鳥居?昔様式で神仏一体なのかな?)

 

↓鳥居をくぐると、正面に三宝大荒神、左に三尊石仏があります。

三尊石仏

平安時代の貴重な遺仏といわれる三尊石仏で、薬師三尊・釈迦三尊・阿弥陀三尊の三体が江戸時代に成菩提院跡から出土したと伝えられています。そのうち阿弥陀三尊像は京都国立博物館に屋外展示されています。

収蔵庫

三尊石仏の奥に収蔵庫の門があり、解説板がありました。(中には入れず)
収蔵庫には本御塔の本尊「阿弥陀如来坐像」が収められているらしいです。

鳥羽離宮の跡地で発掘された景石(けいせき)をこの収蔵庫の周辺に移築して復元しています。

景石とは庭園に置く石で、景石を配置することで庭園の格が決まるので、景石は庭園の重要な構成要素となります。どんな石をいくつ置くとか石の大きさでも庭の趣が変わるので、景石は単なる石ではないのです。

ということで、柵越しに景石を配したお庭を覗いてみました。

大師堂

神社なのかお寺なのかがよく分からず、手を叩いて礼拝していいのかも分からずでした。

明治天皇が休憩された場所

安楽寿院の一画に明治天皇が休憩されたいう場所もありました。

安楽寿院には猫がいっぱいいます

ここも中には入れず

安楽寿院は、平安後期以降に衰退しましたが豊臣秀頼により復興され、鳥羽伏見の戦いでは官軍の本営となりました。

 

近衛天皇陵

先ほどの明治天皇が休憩された場所のすぐ向かいに近衛天皇陵があります。
近衛天皇は鳥羽上皇の子で、崇徳天皇の譲位を受けて3歳で即位しました。
近衛天皇の在位中は鳥羽法皇が院政を行いました。

↓近衛天皇陵の入口

↓天皇陵での禁止事項が書かれてました。

むやみに立ち入るな、魚や鳥を捕ってはいけない、竹を切るな等が書いてあります。

観光客もいなくて静寂に包まれた場所です。
周囲がぐるりと住宅地なので、こんな所に天皇のお墓が?と奇妙な感じがしました。

敷地は広くゆとりがあり、植木も綺麗に剪定されているのでさすが天皇陵。

西日がキツくて逆光でした。

日本で唯一多宝塔が残る天皇陵で、現存のものは1606年豊臣秀頼の寄進により再建されたものです。

立派な塔です。かつては私みたいな庶民が参ることはできなかった場所だったんでしょうね。(日光東照宮も江戸時代では大名しか参拝できなかったようですし、ありがたい時代になったとしみじみします。)

城南宮のしだれ梅の時期になると城南宮に来る人は連日凄い人なのに、その流れでここに寄る人はほとんどいないようでした。

歴史で学んだ院政政治。平安後期は寺院や武士達が力を持ち始めた時代で、歴史ドラマでもこの時代の上皇や法皇はひと癖もふた癖もあるキャラクターで描かれることが多いですよね。京都の観光地としては超マイナー級なのが残念ですが、桜や紅葉の時期などに伏見に来る機会があれば足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。

今回私は下調べせずに散策したもんですから、白河天皇稜や鳥羽天皇陵を見逃してしまったし、鳥羽離宮跡マップに載っている史跡にも行ってみたいので今度は鳥羽離宮リベンジ散策で行きたいと思います。

京都市のサイト「鳥羽離宮」も読んで予習をしていくと、もっと興味深く散策できそうです。

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