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鎌倉|竹の寺【報国寺】2000本の竹林庭園は心洗われる人気観光スポット!

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座禅体験

報国寺の見どころは竹林だけでなく、座禅体験もできます。さすが禅宗だけありますね。

詳細はホームページで確認ください。

 

竹林と御抹茶を楽しむ

竹庭の中の椅子席で抹茶が飲めるセット券もあります。
予約不要で、竹林の拝観料受付でお茶席を申し込みます。
干菓子付き抹茶で600円だったと思います。(要竹庭拝観料 300円)

 

報国寺の歴史

報国寺の歴史についての看板がお寺の入口にありました。

報国寺は臨済宗(禅宗)のお寺です。
武士が禅宗を信仰していたので鎌倉には禅宗のお寺が数多くあるんですよね。

看板には足利家時(足利尊氏の祖父)が開基とありますが、上杉重兼が開基という説もあるようです。上杉重兼は後で紹介する説明書きに出てくるのでその説も納得といった感じ。

お寺の建立は1334年です。

1334年の前後は激動の時代。
1333年に鎌倉幕府が滅亡。1335年には北条高時(鎌倉幕府滅亡の時に自害)の子・時行が中先代の乱を起こして鎌倉幕府の再興をはかったり、護良親王足利直義に殺され、足利尊氏後醍醐天皇に背いて挙兵したりしています。

報国寺は鎌倉の変革期に創建されたお寺だったんですね。知らなかった。。。
だから報国寺は足利氏や上杉氏の菩提寺としてさかえたのか。
竹林が有名だから行ってみるかと軽い気持ちで来たけど、歴史を知ってしみじみと拝観いたしました。

(ちなみに今回は北条高時や護良親王にゆかりのある場所にも数カ所行ってきたのでブログでおいおい紹介していきたいと思います)

 

そしてもうひとつ興味深かったのは、報国寺がある鎌倉市浄明寺2丁目の土地は「宅間」と呼ばれているようで、そのゆえんについての説明。

源頼朝の命を受けて京都から来た絵師(仏師)の宅間為久は源義朝(頼朝の父)の菩提を弔うために創建された勝長寿院の壁画を描いたりして幕府と強い繋がりを持っていました。そして、宅間為久の息子・為行も絵師(仏師)で、この地に邸宅を持って住んでいたことから今も報国寺があるところを「宅間谷」と言うらしいです。「谷」は鎌倉では「やつ」と言うので「たくまやつ」と言うんでしょうね。

当時の報国寺は5km先の衣張山(きぬばりやま)まで境内に含むほど大きな寺だったようです。

そんな歴史的流れがあって、報国寺の本尊は釈迦如来坐像で、仏師 宅間法眼の作といわれます。
(現在、迦葉堂に安置されている迦葉尊者立像は、1978(昭和53)年に迦葉堂を建てるときに製作されたものらしいです)

同じく宅間法眼の手による迦葉像もあったのですが、明治時代の火災で焼失したとのこと。この消失した迦葉像は「宅間の迦葉」と呼ばれる名作だったことから、報国寺が「宅間寺」や「迦葉寺」と呼ばれていた時期もあったといいます。

 

おわりに

 

関西人の私は京都・嵯峨なんかの竹林を見慣れているから報国寺の竹林はこじんまりした規模に感じましたが、管理や手入れは徹底したものを感じました。美味しいタケノコを採るには竹林の維持に手が掛かると聞いてはいたけど、報国寺の竹林を見て美味しいタケノコが高価な訳が分かりました。(報国寺ではタケノコを販売してませんよ~)

 

今回は鎌倉で3泊してバイクで鎌倉の史跡を巡ってきました。行ったのが5月末でアジサイがまだ色づく前だったので観光客が少なくてスムーズに観光できた上に、今回はバイクで移動したのでマイナーな史跡までかなり巡ることができ、充実した旅になりました。

1日目:浄明寺緑地公園パノラマ台

2日目:この日巡った場所は、源頼朝のお墓・法華堂跡・白旗神社北条義時の墓・三浦氏やぐら(お墓)大江広元・島津忠久の墓→鎌倉宮→永福寺跡→瑞泉寺→護良親王の墓→報国寺→北条高時の腹切りやぐら→日蓮上人辻説法跡→妙本寺→妙法寺

3日目:仮粧坂切通源氏山の源頼朝像→英勝寺→寿福寺(非公開)寿福寺トンネル北条政子・源実朝の墓→銭洗弁財天→極楽寺坂切り通し→稲村ヶ崎→江ノ島→鎌倉高校前の踏切

鎌倉はアップダウンがある地形だからレンタサイクルを利用する際は電動自転車がオススメです。

大河ドラマで「鎌倉殿の13人」が放送されたお陰で、鎌倉市内の史跡がかなり整備されたようでした。説明書きや看板もリニューアルされてて、大河ドラマに出てくる人物の史跡には「○○ゆかりの地」と名前が書かれた旗(のぼり)が立てられました。お陰で、「ここは誰々ゆかりの場所なんだね」と意識して観光できたので、鎌倉に史跡巡りに行ってみたい方は今年中に行ってみるといいかもしれません。(観光史跡の旗は大河ドラマが終わったら撤去されそうな気がします)

 

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