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鎌倉の史跡巡り【北条義時の墓】には鎌倉幕府の大御所御家人のお墓もあります

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三浦泰村と一族のやぐら(お墓)

北条義時の法華堂のすぐ脇に三浦泰村とその一族のお墓があります。

三浦一族のお墓は鎌倉当時の「やぐら」様式のお墓でした。

当時の鎌倉は山に囲まれて平地が少ない上に人口密集地で土地がなかったため、岩壁を掘って洞穴にお墓を造りました。鎌倉の岩が掘りやすい地質だったのを利用した鎌倉独自の横穴式墳墓が今も山ほど現存しています。

↓これが三浦一族のやぐら。鎌倉様式のお墓でした。

手彫りで造ったのが今も感じられる洞穴式墳墓でした。

この三浦一族のお墓、物凄く凄惨で悲しい歴史があります。

三浦一族は大河ドラマ「鎌倉殿」で頻繁に登場していて、山本耕史さんが演じる三浦義村は北条義時の相棒的存在です。三浦義村は重臣の大江広元や北条政子が相次いで死去(1225年)した後も3代執権・北条泰時(義時の子)の下で幕臣として仕えています。

そして、三浦義村の次男・三浦泰村の代に北条氏をも凌ぐほどの勢力になったため、
5代執権・北条時頼(泰時の孫)から三浦氏は北条を脅かす存在として危険視されるようになり、
ついに北条時頼と外戚の安達氏らによって三浦氏は滅ぼされてしました。(宝治合戦

最後は北条氏に討ち取られてしまった三浦一族ですが、お墓の前にある看板を読んでゾッとしました。

三浦泰村は最後、妻子や一族郎党276人と共に源頼朝の法華堂(頼朝を祀るお堂)に立てこもり、自害したと書いてあります。その自害した人数が思ってた以上に凄いのと、北条に滅ぼされた三浦一族なのにそのお墓が北条義時の法華堂の裏にあるというのがなんとも・・・複雑な気持ちになりました。

鎌倉時代の内乱・権力闘争で負けると一族皆殺しされていたと聞いてはいたけど・・・恐ろしすぎ。

この三浦一族のお墓も大河ドラマのお陰で注目され、訪れる人が増えたようです。
お墓の前にある看板も2022年3月に設置されたばかりで、この看板がなかったら一族皆殺しの恐ろしさを感じられなかったです。

 

 

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