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鎌倉観光【妙本寺】の見どころ!比企一族滅亡の地・比企義員・一幡 ゆかりの地

 

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二天門

上り坂になってる参道を上がっていくと、朱色の「二天門」があります。

五月下旬に行ったから境内は新緑が綺麗でした。

どうやら妙本寺は地元で人気の写真スポットのようで、初々しいカップルたちが結婚式の前撮り写真を撮ってました。何組も来てたんで華やかでした~。

二天門は落ち着いた朱色で、神社の鳥居のように明るい朱色や赤色じゃないから、渋さというとか落ち着いた趣きがあって良かったです。

 

↓二天門を裏から撮った方が色が分かりやすく写った

 

祖師堂

朱色の二天門をくぐると祖師堂が目の前に現れます。
祖師堂は、神社仏閣の木造建築では鎌倉市内最大級で、市の文化財に指定されています。

妙本地がある場所は山と山の谷間で、この谷間一帯に比企家の屋敷があったことから比企谷(ひきがやつ)と呼ばれています。

 

祖師堂は間近で見ると屋根が立派で迫力がありました。

この地味で質素な感じが武士好みっぽくていいですね。京都のような雅さとは違う雰囲気が良かった。

祖師堂でも写真撮影をやってました。どのカップルも幸せムード全開。
いぃーなー、いぃーなー。

関西だとお寺ではなくて神社での前撮りが多かったりするから、お寺で前撮りしてるのが物珍しい感じがしました。鎌倉は色んな宗派が生まれた土地だし、お寺の馴染みが深い地域なのかな。

この祖師堂の裏側に「やぐら」らしきものがあったけど、地図に載ってなくて何か分からずじまい。

 

日蓮聖人と寺の歴史

妙本寺は日蓮聖人を開山に仰ぐ日蓮宗最古の寺院とあって境内には日蓮聖人の銅像がありました。

開基は比企能員の末子で、順徳天皇に仕えた儒学者 比企能本(ひき よしもと)です。

1203年(建仁3年)、「比企能員の乱」で比企家はライバルの北条家によって一族もろとも滅ぼされました。「比企の乱」の時、まだ幼少(2歳)で京都にいて一命をとりとめたのが比企能本でした。能本は成人して学者となり、順徳天皇に仕えることとなりました。

年月が経ち、やがて許されて鎌倉に帰った能本は、鎌倉で命がけの布教をしている日蓮聖人に出会い、「わが一族の菩提を弔って下さるのは、このお聖人しかいない!」と決心。能本は日蓮聖人の弟子となり、自らの屋敷を日蓮聖人に献上し、父・能員の屋敷跡に比企一族の霊を弔うために法華堂を建てたのが妙本寺の始まりとされています。

日蓮聖人は1260年(文応元年)、能員に「長興」、母に「妙本」の法号をそれぞれ与え、寺の名前を「長興山 妙本寺」と名付けました。

 

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